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*まだいしのなかにいる*

あたらしい生活

あたらしい生活。そう言われて真っ先に思い浮かんだのが『ニューファミリー』という言葉だ。1970年代後半、ベビーブーム以降に生まれた「団塊世代の夫婦」+「子ども」という家庭。両親とは同居せず自分たち夫婦と子供だけで構成する。それまでの「家父長制」的なシガラミから完全に切り離され、「自分たちだけの家庭で暮らします」宣言しをしちゃった家族の新しい姿=『ニューファミリー』

実際には、「今日から私たち独立します」みたいに高らかに宣言し、古い慣習に基づいた家制度には決別します。という決意をもって登場したわけでなく。なんとなく(労働スタイルの変遷は大きいが)都市型の生活スタイルが確立する中で、大家族がくずれていっただけだったと思う。

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まして「ニューファミリー」なる言葉を作り出したのはコマーシャルの側だった。それまでになかった新しい消費層が出現し、そこへターゲットしたコマーシャルを行うため、戦略上メインと想定された層が「ニューファミリー」だとされたわけだ。

それまでの消費行動では応えてくれない新しい層が生み出された結果。そこへ物を売るにはどうすれば、、、ただ「バーゲンセール」だとか「大安売り」だとかならべただけでは売れない、、、気を引くことができるのか。購買させる雰囲気をつくり出して消費行動へつなgる。sのための『ニューファミリー』。

なにか新しいコトが始まっている。自分たちも乗り遅れちゃダメだみたいな、そういう雰囲気がジワジワと、、、あっというまに定着した。「あたらしい」と言われると、自分がそれに乗り遅れちゃダメだという圧力が、自発的に、そう思わされる=「脅迫」のような、その圧力がソフトに響いてくる。

コロナ禍のなかで「新しい生活様式」と言われ始めたが、おいおい、またそうやって人をその気にさせて、なにかを「買わせ」ようとしてるんじゃないのか!なんて思うのは、、、穿ち過ぎか。(注:感染予防は大事でそのための対応は必要です!)

なお、大漁に生産される「ニューファミリー」の出現に、「けっ、カッコつけやがって」、「田舎もんには無縁だよ」などと、彼らを必要以上に攻撃的に見る輩も、同時に出てくる。そういう自分が家父長制的な家に居場所がないのにかかわらずだ。

たとえば僕だ。で、当時の記憶さながら、今回も「けっ、新しい生活?」「何を買わせようってんだ」と思ってる。また、そういうい自分の「天の邪鬼」加減にも辟易している。


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