今週のお題「大人だから」
成人式を無事に迎えられた多くの方々にまずオメデトウと言いたい。昨年の今頃は能登の地震の影響で大騒ぎだった。その前にはコロナ禍という状況も続いていた。フツーの新年を、それに続くいくつかの行事も、フツーに迎えられることがまずは喜びだと、当事者でなくても感じる。
今年は大きな災害もなく始まった。少なくとも自分の身の回りでは・・・
世界的にはウクライナやガザの問題、アメリカでは新しい大統領も誕生、国内に目を向けても少数与党といった『事件』が起きており、果たして本当に穏やかな新年を迎えられたのか、そう考えるとちょっと不安にもなる。
ただ、人が感じられる幸せなんて、せいぜい半径数キロの範囲内の居住の状態如何ではなかろうか。ある距離以上になるとテレビやネットを通じてしか目に入らず、その手段を閉じていれば見ないで済ませられる程度だ。そんな大袈裟になんでもかんでも己のこととして抱え込めるほどキャパは大きくない。
むしろ大人になって、、、数十年経って、、、なおさら自分の感知範囲が狭くなった気がする。いろんな心配事を探し出さなくなった。成人になった頃が一番に世の中を心配していたかもしれない。いろんなことに鈍くなったのかもしれない。広く目をこらさなくなったし、目に入っても「まぁいいかぁ、、、」で済ませられるようになった。
昔、大昔だな、コドモ=若者には「オトナはキタナイ」と反抗文化の風潮があって、若い者同士で連んで、年上の人に厳しい頃があったと思う。そういう大人たちの先頭が自らの親たちで、ああいう父親になりたくない、あんな母親みたいなのは嫌だもっと自由を!フリーダーッム!と拳を固める事があったんだけどなぁ。
「成人式なんて、大人たちの、上の世代が作った仕組みだ。まっぴらだぜ」
そんな型枠に納められたりしない!なんて、、、粋がってた?気がする。今となってはどうでもいいのだけども、今、自分が成人式を迎えるとしたら、きちんと祝って貰うかもしれない。
だけど、「オトーサンのような大人になりたい」とか「オカーサンに感謝します」とか「尊敬する両親のような大人になりたい」なんてことだけは絶対に言わない。なんのてらいも無くそういう発言ができるほどウブにはなれない。