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*いしのなかにいる*

医師との不可侵【情弱】条約関係

基本的に医師とは気が合わない。頭が切れるのは認めるざるを得ないが、それが、僕にとって有益だったこたがないのだ。というか、どんどん思い付きで意見、見解が出されるのはすごいなと思うのだが、こちらがちっともついていけないのである。

それは凄い!と思うよ。ただただついていけないのだ、年齢的に?いや昔から、、、これが「一般人」との違いなのかーっ。及びもつかないような発想は、まさしく及びもついかない、異次元世界。立っているところ立脚点が一致しない。交わらない、、、

なによりそこに「共感」がまったく伴わないことが問題。いろんな着眼点があって、あらゆる視点で問題点をあげつらってくる。

医師が全てそうでないのは認める。同じように分かり合えそうな医師もいるが、そういう医師には「医師としての敬意が持てなかったりするのだった。だって自分と同等、もしくはそれ以下の(失礼、あくまでも僕の個人的主観です)頭の回転しかない医師だろ、医師として見る(見上げる)ことができるか?

結局、切れ者の医師は認める。でもそういう医師とは絶対的に気が合わない。なので一緒に働く側に立つと、敬遠したくなってしまう職種なのだ。むしろわがままいってくる患者さんたち方が理解できる、、、確かにクレーマもどきの患者さんには苦労せられるが、どうしてそんなにブチ切れるのか理解できる、、、その相互不可侵的な関係は、40年近く働く中でちっとも溝は埋まらなかった。

もう今更という感じだから、医師を理解しようというのは多くの場合叶わない。ヨイショ敬っておくが吉

 

お盆に帰るところ、帰る場所としての田舎

日本の原風景、とりわけ地方の風景は、ずいぶん変わった。田んぼの間を走っていた道は広い道路になり、駅前には全国どこにでもある店が並ぶ。コンビニもドラッグストアもショッピングセンターもあり、地方と都会の暮らしは、昔ほど違わなくなった。それでも、お盆になると都会から故郷へ向かう人の流れが生まれる。

考えてみれば不思議なことだ。わざわざ混雑する高速道路や新幹線に乗り、何時間もかけて帰ってくる。そして墓参りをし、仏壇に手を合わせ、親や親戚と食卓を囲む。都会で暮らす人にとって、田舎は必ずしも便利な場所ではない。それなのに、なぜ帰るのだろう。

おそらく、そこには「暮らす場所」とは別の意味での「帰る場所」があるからではないだろうか。

都市化がすすんで、地方の風景は均一化したように思う。しかし、人の記憶までは均一化することができない。子どものころ遊んだ道、祖父母の家、夏の夕暮れの匂い、蝉の声、墓地へ続く坂道。それらの風景は失われつつあっても、記憶の中にある故郷の光景は容易には変わらない。お盆は、その記憶にもう一度触れるため、故郷へと帰っていく道筋かもしれない。

一方、田舎に住み続ける僕のような者にとっては、お盆は少し違って見える。故郷は「特別な場所」ではなく、毎日の生活そのものだ。その一続きの時間のなかで、田んぼの草刈りも、近所づきあいも、病院や買い物の不便さも全部が日常のまま。だからこそ、お盆休みには都会や観光地へ出かけて、普段とは違う空気を吸いたくなってしまうようだ。

都会から田舎へ帰る人と、田舎から都会や外へ出かける人は、同じ「お盆」を別の方向から見ているのではなかろうか。

故郷とは、「暮らす場所」でなくなって初めて、故郷になるのかもしれない。

離れて暮らす人にとって田舎は、「失われつつある日本」を確かめる場所であり、自分がどこから来たのかを確かめる場所でもあるだろう。お盆の帰省は決して単なる風習ではない。都市化が進めば進むほど、人はむしろ「自分の原点」を必要とするのではないだろうか。田舎に住む者には見えにくいその価値を、都会で暮らす人たちは、毎年お盆になると思い出しているのかもしれない。知らんけど。

 

梅雨明け

梅雨明けが「発表されない」ということ

8月に入っても、まだ「梅雨明け」の声を聞かないのだ。知人と「梅雨って明けたの?まだ?長くない?」と話していて、思い起こした。梅雨明けというのは、誰かが決めて宣言する「約束事」ではなく、空の様子を見て気象台が「たぶんもう梅雨は終わった」と判断するものなのだ。

調べてみた。北陸は梅雨前線や低気圧の影響で7月末まで雨が残り、晴れの日が続かなければ梅雨明けとは言えないらしい。平年なら7月23日ごろに明けるはずが、今年はずれ込んでいる。

「明ける」という言葉には、はっきり線を引けない自然の複雑さが隠れていると思う。空は人間の都合になんて合わせてはくれないのだ。だからこそ天気予報士は毎日空を見上げ、何日も先の変化を伺う。

梅雨明けが遅れているという小さな事実から、自然を理解するとは、待つことでもあるのだと気づかされた。

そして、実は富山もずーっと雨が降らない。ここのところずーっと晴れているのだ。なのに、なぜ梅雨明けが発表されないのだろう。答えはべつのところにあったようだ。気象庁のいう「北陸地方」とは、新潟・富山・石川・福井の四県だ。石川や富山の空を見て「もう明けたはず」と思っても、新潟側で雨が続いていれば、北陸全体としては梅雨明けと言えないらしい。

ここで気づいたのは、自分が無意識に「北陸=石川・富山・福井」だと思い込み、新潟を数えに入れていなかったことだ。長く新潟は北陸の一部という認識を持ったことがない。北信越や東北のイメージだ。しかもこの見方は、僕一人の勘違いというより、多くの人がそう思っている。新潟は富山からは、お隣にあるけど福井以上に遠い存在なのだた。

梅雨明けという小さなニュースが、自分の中にあった地理の思い込みに気づかせてくれた。天気は地域全体で決まる。だからこそ、その地域をどう区切り、どう捉えているかという自分の理解のほうも、たまには見直す必要があるのかもしれない、、、と書いていたら、こんなニュースが

北陸、東北も梅雨明けしたと・・・え!?明けたのー

weathernews.jp