You are in rock. still…

*まだいしのなかにいる*

昭和から、令和からの、時代格差のふり幅

『昭和』からの『明治』

     と

『令和』からの『昭和』。

それぞれの時間の隔たりを考えると、時代の「ギャップ感」は全然違うと思う。昭和生まれの僕だからだろうか、自分が昭和という長い時間の中に身を置いてきたから、昭和を起点に考えてしまうから、、、いつしか平成で過ごした時間の方が長いのに驚く(*1)。

そうした昭和で過ごした長い時間を思い起こすと、僕の周りには、明治生まれの人が沢山いた。自分の祖父や祖母は当たり前のように明治生まれだったし、親戚にも、ご近所のご隠居さん連中も、皆そうだった。そう大きなギャップを感じずに、昭和の時のなかで、フツーに会話しあっていたと思う。

でも、よく考えると、会話はできたが、そういう彼(女)らとの世代格差感は相当のものでもあったのだ。子供の時分から見上げる彼(女)らが語る明治、大正という時代の過ごし方は、全く及びもつかないもので、それこそ旧世代のオトギ話しだった。2代前というと、当時の、現代=昭和から見れば「旧石器時代」かと思うほどの世代ギャップ感があった。

しかし、令和の今から見れば、昭和が2代前となる。その事実を突きつけられると、ちょっとめまいのような感覚に襲われる。昭和から令和へと、これまで過ごした時代の変化はそう大きくないと思うのに、、、同じ2代前の、明治から昭和への変化は激動のように思える。どうして時間の流れ方にこんな大きな差があるのだろう、、、

令和の時代に昭和の感覚のまま生きる「オヤジ」には、、、あえて男性限定w(*2)。昭和の時代から明治のジジ&ババたちの経験を想像するよりは、令和から昭和を想像する方がはるかに違和感は少ない。また、逆に?『三無主義』(*3)な昭和の目で見ても、明治より令和の方がより理解しやすい。

同じ2世代の間隔での対話でも、昭和vs明治より、令和vs昭和の方が理解を得られやすい。きっと僕ら昭和生まれの男のことを理解してもらえてるはずだと。これも、古い時代にとらわれたままで、新しい感覚についていけずにいるのき気づかないまま、思い込んでるだけなのか?

今の時代に昭和を振り返るのと、昭和に明治を振り返るののとは全然違うだろう、、、明治って!維新があって明治になったんだぞ!それまではお侍いがいたんだからな。ああなんだか時間の感じ方がますます麻痺してきた。

まとまらない。時間はもつれていくwww。

 

いまだに昭和が振り返られるのは、、、

昭和から明治を良い時代と振り返ることそう多くはなかったろうし

なのに令和から昭和へは昔は良かったと語られるのが多いのは、

ノスタルジーに浸るのは、令和と昭和のギャップはそんなに大きく変わらないからだな。

平成生まれの人はどう思う?そもそも平成の2代前=大正が遠すぎるか

 

*1)昭和は64年まであるが、僕が昭和で過ごした時間はそうちの27年間だ。なんと平成で過ごした時間は31年間もある。平成なんてつい最近の、それもあっという間に終わった気がするのにね。

*2)あえて男限定で言われることが多い気がする。男性の方が固定観念にとらわれ続けているように考えられていて。現代でもジェンダーに柔軟なのは女性だと思われてるよね、地獄のオガワ!?。

*3)無気力、無責任、無関心だっけ?ん?「しらけ鳥飛んでいく~♪、」新人類。ニュータイプ登場!

 


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穴に落ちる

先週末の夜、小雨まじる中にもかかわらず、ここんところ走っていなかったのでちょっと走っておかないと完全に体がアウトだと思い。この時期にしては寒くないし、ちょいと走っておけと走った。雨ということもあって、町内の周りをぐるぐる走ろうと思ったのだ。雨が強くなればすぐ止めて帰れるし、チョコチョコと走っていたら、穴に落ちた。穴というか側溝の橋が架かっていない『三角形』のはざまにズボっと落ちた。完全に落ちきる前に膝と前半身で体を受け止めて、落ちきる前に止まったのはいいが、膝を結構すりむいてひどいことになっている。いつもの見知ったしったコースとはいえ、夜に外を走るの結構気をつけないといけないぞー。日中なら絶対にハマることない穴だった。イテテイタタ、、、ちょっとしばらくは安静にします。

今、突然目の前に”The End”が現れたらどうするか?人生の絶望とアディショナルタイム

元旦に大きな地震に襲われ、訳も分からずに避難を迫られて、取る物も取り敢えず、ほんと普段から全く備えていなかったから。テレビのアナウンサーの声に追い立てられるかのように逃げ出した。ホント、今思えば無様なことである。

富山は地震は大丈夫という、思えば全く根拠の薄い自信?に胡坐をかく日々を過ごしていたので、、、「富山は立山連峰が守ってくれる」信仰!、、、まったく寝耳に水だった。慌てることしかできなかった。海岸近くに在住ではあったのだが、幸い!津波の被害もなく、家屋も無事、町内のライフラインも問題なかった。

今思えば慌てただけであったと反省しきり。だが、自分の年齢(還暦杉)で迎えた今回の災害と、若い人たちの受け止め方は大きく違うようだ。確かにこれからの残された人生の時間は違うが、ただ残された時間の長さだけのせいだろうか?これおジェネレーションギャップ!の一つではないかと思うのだ。

というか、今の、若い人地の達観したようないでたちは、何故?なのだろう。それは決して、長い年月を重ねたうえで数々の修羅場を越えて達した達観ではなく。それは、これからの長い将来に何も求めるものはないという絶望に違いないのでは?もはや若い身空の時間が空白になっているかのよう。

僕らが、今、すっぱりと時間を断ち切られ、この人生がジエンドとなる。その瞬間に、「ああ、もう少し生きていたい」と、思うだろうが、その一方で、これだけの長い人生だったから、それをもう一度繰り返したい、アディショナルタイムをあと20年、30年と欲するかというと、、、そうは思はない。そこでのジエンドとは違うだろう。

その人生が行きつく”The End”。どうしてこんなにくちがってしまうのか、、、年寄りの思い込みにすぎないのかもしれないが。


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