You are in rock. still…

*まだいしのなかにいる*

新しい資本主義の前に

いろいろ大変です。電話対応に支援にはいっていますが、いろんなケースにぶちあたります。ふと時間が空いたときつらつらと考えてしまいました・・・

医療、介護、福祉の現場のですが、技術面は一定の水準に合っても、今回のように大災害の様相を生じたとき、それに耐えうるインフラが準備されていなかったということ。なによりも医療に掛かるまでが大変で、家庭や職場、学校などの生活の場と医療までとの間にこんな大きい断絶があったとは!キャパオーバーすると受け入れできなくなる。解りきったコトなのに見て見ぬふりをしていたと。

今までにも地震や豪雨、水害などが起こり支援体制をとった経験はあります。それは一部の限られた地域で生じたことに対して、被害のない所から支援することだった。そして被害のない領域が圧倒的に大きい。

そりゃ、職員は平時であってもギリギリの勤務態勢で、それでも休みを返上してでも駆けつけることはできた。医療分野の人材に限らず一般のボランティアも支援に駆けつけたりできた。助け合うことが可能であったというこ。助け合いが機能する間はなんとかなるけど、、、今回は、災害のスケールが違う。誰も支援に駆けつけることが出来ない状態だ。

新しい局面を迎えたではないか。普段から『社会』がおかれる困難をいろいろ考えておかなければイケなかったのでは、社会が営みを続けるためには、最低限それを維持する体制は、、、と、考えたことがあったか。これまでの普段の生活で準備されていた救急体制ではもはや役に立たない。追いついていない状況にある。

また、あらゆる格差の問題。貧富の差は当然だが、情報格差地域格差、年齢差、性別、さまざまな障壁となりうる条件の違いがある。

多様性を認めるということは、あらゆる局面に対応できることでないといけないのでは?と思う・・・『平等』にという言葉はつかいたくない、全員同じように医療にかかれないことも、それは『平等』にちがいない・・・そうでなくて様々な条件でも救い上げることができる大きくてきめ細かいネット&ワークが必要ではないだろうか。

医療を受ける側、今は大丈夫でも必要になるかもしれない人達、そんな受ける側にも「知識」がたりないとも思う。感染予防やワクチン、PCR検査など専門的なことが多すぎる。だが感染を広げないためにすべきことは誰しもができないとダメだ。

医療を供給する側からは、そんな人達に、常識がたりないといいたくなってしまうが、医療側のもつ常識と、普段は医療にかからない人の常識の間には、大きな認識差がある。これも格差の一つ、格差で分断が進めばお互いにメリットはなく。ダメージは広がってしまう。
こちらも正しい情報を解りやすく伝えていかなければいけない、根気強く!新しい資本主義のまえに新しい社会を考えようと思う。

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