You are in rock. still…

*まだいしのなかにいる*

STOP

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稼働中の原発に対しての住民から安全性の危惧について、それを認めて運転停止を認めるというのは画期的なことだ。それも福井ではなく滋賀県の住民の危惧に対してである。高浜の地元住民の方々にとっては複雑な思いであろうと思う。しかし、この仮処分決定の意味は大きい

実は、昨年の春に、知人らとともに実際に現地に足を運んで実物を見てきている。外から眺める「原発」はとても静かで、外の喧噪とは無関係(無関心)のようにたたずんでいた。このまま動かなければいい、、、と個人的には思っていた。それが昨年末に差し止め決定が取り消しとなり、あれよあれよというまに再稼働へ、え?そんなに急いでいいの?と思っていた

地元の人々の思いは複雑だと思う。先人のなみなみならぬ努力でやっと誘致した結果の原発だ。それが福井地裁で一度は再稼働を認めない処分となり、おれがさらに取り消され再稼働にこぎ着けた。地元の人々に様々な立場が有り、また想いがあろう。それほど強く思わない人もいるだろう、、、それが他県の住民の思いで再び止められた

ここには福島と同じような構図がある。かつて裏日本とも呼ばれた地域。産業を呼ぶため必死の努力があって誘致となった。それが止まれば地域へおよぼす影響はただならぬことであることも想像がつく

僕は昔、大学の4年を福島で過ごした。その時は今ほど原発への意識はなかったのだが、むしろ無縁の産物だった。しかし、福島での原発を抱える地域と、それを持たない地域の温度差を感じたことが何度かある。持たざるモノのやっかみのようなものがあったと記憶している。それが震災でさらにねじれた

望んで受け入れた人も、そうでない人も、また、それを羨んだ人も、先の見えない恐怖という事故の結果をかかえてしまった。複雑な思いがねじれて、ゆがんで、、、さらにその外にいる人も巻き込んで、「原発」という現実を再び思い起こすことになった

僕のなかでの「原発」への思いは、所詮この程度だ。だから今回の処分を論じることも良くないのかも知れない。地域の経済性のみで判断してはいけないだろうし、かつ、かといって経済性を無視できない事情もある。さらに、地元民でもない僕がどう論じてよいのか、、、実はよくわからない。でも、わからないままでも、福島がキレイに片付かないウチに『とりま、再稼働』ということはあってはならないと思うのだ

感情的に過ぎるのかなぁ