You are in rock. still…

*まだいしのなかにいる*

後ろ向きなノスタルジア:過去の出来事に引きずられる葛藤

最近、どうも後ろ向きだ。先のことを想うよりか、過去の出来事ばかりが思い立ってくる。ちょっと困る。四六時中ノスタルジックな思いにとらわれて、「ああそうだった・・・」と手が止まってしまうのだ。あの頃は良かったとか、いやしんどかったとかいう感覚は蘇らずに、ふとした時に、あの時の音だったり、色だったり、が脳内に漂ってくる。

起因となる事柄がなにかもわからずに、忙しいときだって、ぼーっとしているときだって、ふいに立ち上がってくるのだ。それで、全く手がつかなくなって、なにもできなくなるとかはなんだけども。
ああ、また昔を思い出していると、集中力がと切れる。

まぁ、常日ごろ『集中』なんてしてないんだけどもなw

そして蘇る昔の光景や音色、香り、天気、、、どれもが昭和のそれだ。もはや、平成で過ごした時間の方が長いはずなのに、昭和の時間の方が十分に味わい返せる。平成なんてついこの間なったばかりで、まだ数年しか経ってn・・・うははh!

昭和がそんなによかっただろうか!?

 

平常運転に向けて

今年の冬は暖冬で、いつにも増して穏やかな年末と年始ヲレ迎えられると思っていたら。いきなりの地震で年があけた。備えようもなかった。ここ数年は大雪で閉じ込められることが多かったから、天気予報には注意していて、今年の年末年始は小規模な?寒波が来そうだったが、許容範囲のものであったので、想定することができた。雪は天気予報で分かる。備える事はできる。

だが地震は予報などない。「来週の地震の予報は、、、」なんてことはない。前線や寒気団の動きとは違う。単位が何百年、数千年という周期でしか予想できないから、、、そんなのを予想という言葉でとらえてよいのか?どう想定しろというのか。

日々万全にあらゆる災害を『念頭』におきて『年頭』を迎えろと?無理じゃね?余震も少し落ち着いたら、余震に慣れたら?こんなバカなことを考えている。

 

はい。無事ですよー!

思考を刺激する地震体験:被害の差異と富山の安全性

元旦こそ避難しました、夜遅くに自宅へ戻りましたが、経験したことない揺れに襲われた瞬間は、それこそ何もできず固まってしまいました。身がすくむとは、本当は、こいうことだったのかと思い知らされました。ほんとに生まれて初めての経験ですよ!それなりに個人的に長い人生の果てというのに。

自宅が海岸から1kmという位置で、あたりには高台はなく、田舎なので当然に高い建物もない。富山の海岸では3mという警報だったわけですが、3mで持ちこたえそうな場所はありません。少しでも海岸線からはなれるしかありません。本当は自動車で移動することはよろしくないんでしょうが、まぁ田舎なので、田んぼの中には農道が縦横無尽に走っている。そこを目掛けて、かつ山方向へと車を走らせました。

富山には『守護神立山』という思い込みがあって、大きな地震も、台風も、みんな立山が避けていてくれていると信仰にも近い思いを抱いているのです。「信仰」という願いや、そこから発する様々な行動を否定するのではありませんが、信仰の二文字で済ませて、それ以上のことを考えない、対策しないというのは誤りと実感しました。

見たくないものに目をつぶるのは、人間の勝手でしかありません。ナニが起こるかわkらない時代にあることを、しっかり認識することからはじめなきゃならない。そんなの神様のせいにもしちゃいけない、今の浮世のみんなで考えて備えなければならないのですね。

富山でもここいらは被害が少なく済んだ方だと思います。同じ県内でも地域で状況が全く違います。西部のほう(呉西)が被害が大きく特に氷見方面は大変な状況です。ここいら呉東は北の方がより揺れたようですが南は揺れ自体が小さかったようです。

幸いというか自分の住んでいるところは被害はほとんどなく、こうして仕事もフツーにできてます。まだ今回の地震を振り返るには早すぎますが、いろいろ考えさせられています。

www.kyoto-u.ac.jp

www.nikkei.com

です