You are in rock. still…

*まだいしのなかにいる*

富山も揺れた

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昨日は富山もかなり揺れました。久々の有感地震。というかその前に鳴動した”緊急地震速報”にまずビックリ!地震の少ない富山県民は金縛りに遭ったかのように動けなくなるのです。突然鳴りだした携帯電話に手を伸ばした姿勢のまま、みんなフリーズしてしまいます。

そして、訪れた揺れにナニも出来ないまま、せいぜい椅子肘掛けを握りしめるか、テーブルに手をついたまま、、、「だるまさんが転んだ!」と、誰かの呪いの言葉を、浴びせられたように固まります。う、動けない。

たぶん実際は5秒か6秒という程度だったと、後から思うのですが、揺れている時には永遠とも思える時間のウエーブにとらわれてしまって、まるでデュオの

ザ・ワールド!

を喰らったかのような、あ、でも意識は止まってないし、視力も動いてはいるのですが、圧倒的な存在に対して無防備な自分を受け入れている。そんな感じ。

ニュースによれば富山市は震度3だとか、むー、震度3ってこんなに凄いのか!なにせ地震の経験値が圧倒的に低い富山県人。ほとんどの住民は、本当に、なすすべなく過ごしたとと思う。机の下に入ることも出来ず、火の元の確認も、電気の確認も、なーんも出来んかった。

幸い、ウチも、町内も、一切の被害はなく。まぁ震度3ですから^^;。ただ地震の怖さを改めて実感。いや、ほんと、家具などになーんも対策してないんで、こりゃ、やっぱりなんとかしないと、、、と、あと1週間くらいはおもうことでしょう

 

ロング走。といっても15km

月末に黒部名水マラソンを控えている。先月の魚津しんきろうマラソンで全然走れない自分に愕然としつつ、走らないと、とにかく走って足を作らないと、と、思いつつ。あれからも隔日で5km位を走るのがせいぜいで、とにかくまとめて距離を走って無い。連休中にはどうにかしないと、、、距離を目標にする以前に時間だ。2時間は動ける身体を作っておかないと、、、と思い。今日なんとか2時間走へチャレンジした。

休憩を入れながら2時間動くことを目標に走った。結果ドン!これだ。ほぼ5km毎に休憩しつつ走った結果です。夕暮れ時涼しくなってたけど、10kmすぎると汗ダクになった。気温は13度ほどかなー、風はない。気分は悪くありません。膝や腰も問題なし!よし、この状態を維持出来れば月末の黒部名水マラソンはなんとか完走は出来るんじゃないかと、、、暑さ如何だがw



 

あの頃の夏のGO!GO!

お題「思い出の場所」

思い出の場所というか幾つかの場所?時間がどうしても思い出せないのだ。元来そう活動的な人間・・・子供、思春期、青年、若者、大人、中年etcいろんな呼び方の年代において・・・ずっとアクティブではなかった。なのにどういうわけか夏の日の午後の日射しが照りつけるいくつかの場面の場所が特定できない。

ドコかの家の裏で、散居村の一つの家の「かいにょ」にそって流れる小川にしゃがんでいる自分。たぶんフナなのかアメンボなのかを眺めているようで、友達何人かとここまで来ているが、一緒に居た誰をも思い出せず。一人の自分だけなのだ。

「かいにょ」とはここいらでいう屋敷林のことだ。でもその木陰にいるわけではなく、頂点からの日射しでなく、その小川を覗き込む首筋に斜めに照りつけている。3時になるかならないか位の時間だとお思う。年齢的に小学生の低学年と思うのだが、、、

その頃住んでいた、自分らの行動範囲にそうした「かいにょ」沿いの小川がどこなのかどうしてもわからない。もう50年以上昔のコトだけど、たぶんここいらのハズと思う所に行っても、やはり何かが違う。50年経てばなにもかも変わってしまうのかもしれんね。

もう一つは、もうすこし年が進んだ頃だと思う。中学生くらいか、生活圏からは大きくハズレ、もっと上手の、大きな川の縁の大きな石の上に一人で横たわっている。子供とは言え人ひとりが横になっても、全然余裕で広い、そして平らな、そういう大きな石。川の上にそそり立っているのだ。反対側山肌が迫りうっそうとした森。自転車で行ける距離なのだが、まったくそういう巨岩があるところなぞ想像つかない。ただゆったりと流れる川面の動きと、木々が風にそよぐことと、やはりおなじ位の角度の日射しご降り注いでいるだけ。

そして、もう一つは確実に分かる場所。大学生の頃で、県外のその地方の山間の場所。卒業してから何度か実際に行ってみたから、確実にそこの場所はわかるのだが、大学の外で、、、大学が山の中だったから、山合の道だ。片側にはやはり木が生い茂っている。だけど何度か行ってみてもどうも日射しの色が違う。同じ時間帯なのだが、日光色とでもいうのか、どうも色があわない。

どれも思い起こす今という時間からの記憶なので、色合いとか、場所とか、時間とか、変な具合に着色されているのかもしれないが、ああそういえば大学時代、それまで裏日本を出たことがなく、東北とはいえ表日本側にでたとき、日射しの色合いが全然違って驚いた。日光の角度って結構違うんじゃないか?なんて思ったが、「裏」と「表」の風土差がいろいろ作用したのかもしれない。

だけど、時間の流れ方、風の吹き方、日射しの照りつけ方、なにもかもが、これらの三箇所で共通しているように思えるのだ。記憶の中では風の強さも、日射しの色も、セピアに染まってしまうからかもしれない

まるで僕の「夏への扉」のような記憶

 


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