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*まだいしのなかにいる*

献血ピンチ!献血はお早めに

コロナ禍のもと不要不急の外出は控えなさいとのことで、献血がピンチになっている。もともと寒い時期には避けられがちで、平時でもピンチになることがあった。コロナ禍の今の大変な状況は、誰しも容易に想像できるだろう。そこへ更なるピンチが!

www.asahi.com

当院でも年に2回献血に応じている。病院での献血は、患者さんや一般来院者向けというより、職員が応じるためだ。先に書いたとおりこの時期の献血窮乏は誰しも理解しているし、献血が必要な人が沢山いることもわかっているからだ。だから多くの職員が積極的に協力する。

ところが、今年は、病院職員向けのコロナワクチンがある。まだ当院は順番がこないのだが、来月には献血を予定している。そんな中、赤十字の担当者から連絡があった

「コロナのワクチンいつからはじまりますか?」

なんでもコロナワクチン後の献血については全くデータがなく、接種後どれくらい開ければ献血が可能かふめいとのこと。たとえばインフルエンザワクチンだと1日あければ献血可能とされているが、コロナワクチンについいては全く新しい型のものだから不明だとのこと。

www.jrc.or.jp

先の日赤の担当者さんによれば、「当然、コロナワクチン接種を最優先で進めていただきたいと思っていますが、もし献血日よりワクチンが早いなら今回の献血は中止になります。また、接種後の間隔も現状は不明で、最悪2週間、1ヶ月あけねばとなると、、、コロナワクチンは3週あけて2回接種ですし」と、なんとも困った様子。

このままだと医療関係者、その後一般のコロナワクチンが始まると、誰も献血できなくなる状況が続きそうです。全般的に、コロナの影響で手術を送らせた患者さんも多くあります。順次、手術は再開されていますが、これからしばらくは、例年以上に輸血が必要になると思われます。

健康なみなさん!今のうち、早めの献血にいきましょう

あれから10年

10年経っても消えない傷跡がある。勝手に、すっかり昔のことのように思っていた自分がいる。いまだに、、、これからも、、、家に帰れない、戻れない人達もある。10年か、これだけの長い期間にどういう忍耐を強いられているのか。遠いところの話のように失念していた。自分の地域では被害を受けなかったから、それで安心しているのだ。情けない。

 

福島ミエルカプロジェクト

www.foejapan.org  

・マスクをしろ

・売り上げが40%減

・検査済みか確められる、、、

 

なんだかコロナ禍の状況と同じように思えた。

 


福島ミエルカプロジェクト:福島県二本松市で有機農業に取り組む菅野正寿さん

 

でも、これはコロナの話ではなくて、震災後の福島の農家の話しだ。被害を受けなかったトコロ、、、安全な場所から、、、の注意喚起の強要だ。確かに検査やマスクは必要だろうが、一律に被害地域の全域の住人におなじ扱いを強いるのは横暴な気がした。

人は、誰かを責めることで自分安全を確認し、安心できるのかもしれない。自分のごく近くの世界がとりあえず安全であればそれで良い。いや、むしろ自分の遠縁ではなにかヨロシクない出来事があったほうが、却って安全・安心を確信できるのではないか。そう穿った見方もしたくなる。

新しい世界・暮らし

人の在り方も変えないと、誰もが当事者で皆その現場にいるのだと実感するところか始めなくはと思った。また「昔のことだから」と、もう済んでしまったこととするのでなく。その時間の延長に自分たちはいる。

誰かを糾弾することでしか自らの安全を確認出来ないというのは、ちょっと情けない。そんな不十分な状況はちっとも安全でない。安心したつもりでいるだけだ。

今、ココは、たまたま運が良くて安全だと言うことは、ちっとも安全じゃないのだと、、、、四六時中意識するのはしんどいから、、、時折振り返って考えたい。

 

これが福島の全てではないだろう。浜通りの限られた地域のことだ。大部分では「復興」が進んでいる。福島全域が困難でしんどい生活を強いられている、、、という想像もまた無責任なことだ。ただ、詳しく知ろうとする姿勢はなくしたくない。

等しくコロナ

富める者も、そうでないものも、等しくコロナにかかるリスクに差は無く。そこは、かなり平等だ。マスクが買えなかったほどの貧困層もあるだろうし、そもそもの感染リスクさえ理解できない、と言った理解力=教育の格差もあるだろう。でもコロナは襲う人間を差別はしないのだ。

世の中に、こんなに平等なコトがあるだろうか。
ただし、ひとたび感染した場合の予後には、貧富の差が、その後の推移を大きく変えてしまうのではないかと私は恐れる。発症して必要な治療にたどり着くために、そして手厚い治療を受けられるか否か。

最初の段階で、簡単に病院へアクセスできることは、現代においても幸せなことに違いない。誰しもが、平等に、容易に、正確に、その機会を得ることが可能なわけではない。自らすすんで病院にかかることに障壁を持たない人はどれほどいるだろう。
貧富の格差と言われて、その峻別のラインがどこにあるか。想像してみたことがあるだろうか、安心して治療を受けるにためには、、、

もっとも貧しい者が、畢竟に重症化するわけではない。気付かないまま無症状で過ごせる人もアルのだろう。必ずしも病院の世話にならなくてもよいのだ。この病は、病院の世話になれなくても済む人も大勢いて、しんどくさえなければ、、、無症状だと

どれだけでも自由に振る舞うことが出来る。
その意味では、コロナにかかるリスク以上に、ウイルスの普及活動に貢献する度合いも、おなじく等しいのだ。誰しもが金銭的制約を受けずに、第三者へ感染せしめることが適う。
重症化する人とそうでない人。早期に検査を受けられるか否か。また、普段の生活状況に左右もされるのだろう、、、喫煙、飲酒、肥満、生活習慣病、これらは、実は、貧者の特権でもあるように思う。不規則な生活、不十分な栄養、不清潔な環境、、、彼らにこそ付与される基本的で根源的な特権だ。

だれもそうした既得権益を奪うことは適わない。

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