You are in rock. still…

*まだいしのなかにいる*

Around 5km !

5kmの壁。壁ってことじゃないんだけど、5kmすぎに調子こいてしまう自分wに気付いた。どういうことかというと・・・

 

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よくいう25kmの壁だとか30kmの壁だとか、そういう立派な壁(?)^^;ではなくて、5kmという数字が今の僕にとって一つの分岐点になっている。冬の間・・・今年は例年にないほどの暖冬で積雪もなかったというのに・・・ずーっとジムランばかりしていたせいで、長距離を走る機会がなく、せいぜい10km走る程度という体たらくだった。

それでも『継続は力』とばかりに、1kmあたりのペースは上げることができ、最近では5分10秒台で走れるようになった。昨年は、せいぜい6分切るか切らないかくらいでゼーゼーいってた。今はちょっと上げてやればなんとか5分切って1km走ることもできるくらいだ。

だいたいの走るときの辛さがくる傾向もつかめてきた。だいたい3km、5kmまでは意外に苦しく。ペースもそう上げられないのだ。5分50秒くらいで走り始め、3kmぐらいまで苦しみつつ、5km過ぎで5分10秒くらいにペース上げる。5km以降は5分10秒くらいが却って気持ちよく走れる。おおっ!と自画自賛しつつ走る。

が、それも8kmくらいまでで。10kmまではなんとかなるか^^、そこでガツンとペースが落ちる。15km位になると6分台になってしまう。ペース配分の問題だろうと思って、走りはじめを6分台で走ろうとすると、これが結構にキツイ!うわぁ、ゆっくり走るって大変。ついスピードをあげてしまう。で、10km超でガックリ落ちてしまう。

うおー、こんなんで大丈夫か!?

今月、再来月とハーフ(しんきろうマラソン)、フル(黒部名水マラソン)の計画をしているのだ。なんか心配になってきた!!!走り込み不足だよねー、今年に入ってから月間100km走るので精一杯だしなぁ。やべー、やべー、今頃気づく自分の自己管理のなさにショック。ちょっとロング走をしとかないとやばいね!

 

昭和と平成、そして令和

元号が変わろうとしている。元号が変わるときが、一人の節目として、時代も大きく変わるような気がする。先の改元の時にはシステム屋をしていたこともあって、不謹慎ながら迷惑な話だとうそぶき、グローバルな今の世で改元なんて大した意味をもたないよ、、、って思いつつ、

いざ昭和から平成にかわるり、さらに平成生まれの子供達が出現、やがて成人し社会にも出ててきたときには、昭和生まれの自分たちの世代がどんどん浸食されていく錯覚に悩まされてもいた。

そうして世間にどんどん平成生まれがあふれ出てきても、自分は、自分たちは、昭和生まれだぞ、昭和育ちだぜ、と。自負してきてもいた。その自負の具体的な中身はというと時代がデジタル化するなかに、、、レコードがCDにテープがMDにやがてメディアもクラウド化して、、、

昭和生まれといつまでも自負していた自分だが、いつの間にか、気付けば昭和で生きた時間よりも平成で生きながらえた時間の方が長くなっていた。いつしか携帯からスマホに持ち替え、クラウドの容量も不足し、定額制配信サービスにどっぷり浸っている。だが、僕は昭和間だ。道具がどれだけデジタル化しても思考自体はアナログままだし。自分という人間は、いつまで経ってもブレークスルーはしない。昭和固定である。

結局のところ「昭和」と「平成」の間にそう大きな断絶はなかったと思う。だが、そんな昭和の人間がまた新しい年号を迎えるという。過去に思えば、明治生まれの人が昭和を迎えたように。

さて、明治生まれの人は昭和を迎えたときに、何を思ったことだろうか。昭和になって起こる数々の激動の事態を、年号が変わるそのときに予想しえただろうか。今、昭和から平成を通過し、令和と変わる節目を、昭和生まれはどう備えるべきだろうか。

否!年号が変わるから時代が変わるのではない。人間が変わるから時代は変わるのだ。その変わる時をもっと自由に選べたら、自分自身が自由に変われたら、、、年号に惑わされたりしない。

宝島読了

はずかしながら真藤順丈さんの本はこれが初めて「地図男」の時に読もうと思いつつ結局は手に取らなかった。今回、直木賞を受賞して慌てて読んだのは間違いないが、断っておくが、買ったのは受賞する前だった。買ったのは良いものの後回しにしていたのである。直木賞受賞を聞いて「しまった」と思って慌てて読んだ。他に、読むべきと思った本があってどんどん後回しにしていた、、、

第160回直木賞受賞 宝島

第160回直木賞受賞 宝島

 

さて、最初、読み始めにあれこれって池上永一さんのノリ?って思った。「テンペスト」、「シャングリ・ラ」の勢いである。話の筋が沖縄話だし、池上さんと同じような作家かとも思った、、、読み進めるうちにそうでないと思ったが、、、実際に沖縄生まれの作家ではなかった。沖縄の戦後史をなぞるように話はすすむ。

池上さんとの一番の違いは土着性の差のように感じた。真藤さんもウタやユタなど登場させ、沖縄の土着の背景を織り込んではいるのだが、池上さんには及ばないと思った。まぁ、そこがこの本の魅力を減じるわけではないが、沖縄の話しは、やはり沖縄出身の人の語りでないと弱いのかと感じた。

話がつまらないわけではない。確かに何度か涙を堪ええさせれる箇所もあったし、歴史をなぞることも丁寧にされている。ただ、勢いが不足してるのかなと感じる。登場人物の振る舞いは魅力的で、はっちゃけてはいる。その描き方は少々乱暴なものだから、「レキオス」、テンペスト」、「シャングリ・ラ」の雰囲気を感じた。

だが、読み終えた後に、池上作品には及ばないなと感じた。この差はなんだろうと、読了後に振り返ったら、土着性の違いなのかもと思った。うーん、、、。話の本筋はそういう登場人物の勢いとは別にあるから、だから魅力が半減することはないのだけども。池上作品を読んできた読者には「宝島」が」どのように読めたのか、ちょっと気になった。